ことのはじまり(1)


【この記事は遡及入力です】

by: くとの

 2011年の夏。中国は深センに行ったことから全ては始まりました。
 秋葉原などとうの昔に抜き去って世界一の電気街となった深センの華強北路に行ってみたい。電子工作の道を通ったことがある自分にとっては、一つの念願だったわけです。そりゃ、ラジオデパートより大きなビルが数十もあって、電子部品店が数千もあるというなら胸は高鳴るというものです。
 深センに入るルートはいろいろありますが、危険度では中国でも有数と言われる深センのこと、香港空港から電車で羅湖のボーダー(Wikipedia)を通り深センに入る一般的なルートではなく、香港空港で入国しないでフェリーで中心部から離れた蛇口に行って、そこで大陸側に直接入国するルートにしました。このフェリー、高速船を使った一応国際航路なわけですが、荷物の積み卸しや小姐の様子などはまさに大陸の趣です。帰りも同じルートを使ったので、パスポートには香港でなく大陸のスタンプだけ押されています(「中国辺検 蛇口」ってどこ?)。飛行機は高い直行便をあきらめ、台北経由のチャイナエアライン(中華航空)。退役迫るボーイング747-400がよかったのですが、あいにく行き帰りの4機は全てエアバスでした。やっぱりエンジンは3発以上が正義。
 初日は夕方到着だったので、入国してそのまま宿にチェックイン。沖縄より南に位置する分、かなりの暑さを感じます。一応夏休みで骨休めにもしたかったので、出張系ではなくリゾートっぽい(だが古い)ホテルにしました。
 翌日から電気街にゴーです。ユニバーシアードに合わせて無理矢理延伸開業したという地下鉄蛇口線(Wikipedia)で華強北まで1本なのですが、そのユニバーシアードのおかげで、全駅で改札を通る際にX線での荷物検査が必要でした。ホテルのサービスでついてきた地元の英字紙によると、チケットが大量に売れ残ったそうで…どうしたのやら。
 蛇口から華強北まで、ステンレスの座席で片道50分近くかかるため参りました。デジタルサイネージは大量に付いているのですが、1日1食にしていた時期だったので、どうにも座っていてつらいです。車両は中国北車(公式サイト)の製造で駅には東京メトロ南北線のようなホームドアがあるものの、自動運転の制御が甘いらしく、新車のくせにどの編成もうまい位置に停車しません。ハードウェアはできているけれども、ソフトウェアを含めたシステムとしてはどうなのかな?と思ってしまいました。ちょうど、高速鉄道の追突事故があった数日後だったので、余計に不安をそそります。
 ちなみに、この深セン行きでは、トラブル防止のため外で一切写真は撮っていません。あしからず。

ことのはじまり(2)


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by: くとの

 まずは「華強電子世界」を訪問…といっても、ラジオデパート10ヶ分くらいのビルが複数集まってできているので、一通り歩いて見るだけでも大変です。規模が秋葉原の比ではないせいか、ジャンルごとに店が集まっています。最初は受動部品のゾーンから入ったので、半導体はどこなのかわかりませんでした。
 華強北は電気街といっても今の秋葉原をイメージすると面食らいます。2011年時点で私が回った限りでの話ですが、まず、大規模な家電量販店があるわけではありません。国美電器(Wikipedia)の店舗でもヨドバシアキバの5分の1くらいという店構えです。また、パソコンパーツのショップがしのぎを削っているわけでもありません。そして、オタク系ショップどころかコンテンツ産業そのものがほぼ見当たりません。コピー版ソフトなどを一掃してしまったのかもしれませんが、すがすがしいくらいです。主に売られているのはそれこそPCパーツに乗っている個々の部品(GPU、チップセット、チップコンデンサ、インダクタ…)だったりするわけですから、一般消費者がショッピングを楽しみに来るようなところではおそらくないわけなのです。コンシューマ向け家電製品もある程度売られていますが、それなら国美電器で用は足ります。その意味では、1980年代のパソコンブーム前の秋葉原に近いのかもしれません。
 ちょうど、ガード下の秋葉原ラジオセンターみたいに小さなブースが大量にあるという感じです。つまり、単なる小売店と言うより、工場製品の販売窓口兼ショールームという機能もあるようです。その意味では、1980年代前の電子工作みたいに、部品集めをするには広すぎるのもあって難しそうなところです。
 ちなみに、深センと言えばパクリケータイ、つまり山寨手機が最近の注目だと思います。確かに、それらしき店が集まったビルはあったのですが、首を突っ込むと危険性が高いのでしっかりとは見てきませんでした。お土産にするにも帰国の際にリスクですしね。
 さて、やはり多かったのがLED。流行り物を扱う店はしっかりと集まっています。華強電子世界のビルの1つは、最上階が丸ごとLEDゾーンになっていました(でも、店の数も客の数も寂しかった)。元々、節電照明用にテープLEDを買う予定だったので、いろいろな回って見てきました。
 もっとも、困るのは食事とトイレです。華強電子世界の店舗はどこも小さく店を閉めて食事に出られないので、給食ワゴンみたいなカートが巡回販売しています。好きなものを指定するとトレーに盛って渡してくれます。これでは中国語の普通話と広東語の両方ができないと買えません。深センは地域的には広東語ですが、中国全土から人が集まるので普通話の方が多いような気がします(地下鉄の自動放送も普通話、広東語、英語を併用)。もちろん、英語は通じません。お店の人と話す時は型番のメモを見せるから問題ないのですが。トイレは新しいビルばかりの深センといえども(さすがに「ニーハオトイレ」ではないですが)かなり汚いです。汚いのが嫌と言うより安全とは思えないのが深刻。だいたい、日本人はおろか外国人自体が電気街にいないのです。私はどのみち1日1食生活だったたので、ホテルの朝食だけで1日過ごしていました。飲み物は比較的安全な蛇口の駅の自販機(最近JR東の駅に増えているような全面タッチパネル・デジタルサイネージ兼用のもの、ただし顔認識はせず紙幣は5元くらいまでしか入らない)でペットボトルを買っておき、飲む量と発汗量を均衡させて宿に戻るまでトイレ不要にしていました。

ことのはじまり(3)


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by: くとの

 「華強電子世界」に続いて行ったのは「賽格広場」。こちらは「華強電子世界」のような商業ビルというより、超高層ビルの下層階が商業ゾーンになっている感じです。ビルのごく一部とはいえそれでも驚くべき広さ。
 ここは華強電子世界よりはコンシューマ寄りで、1階こそ電子部品店が多かったのですが、PCパーツショップ、タブレット(スレート)、家電など一通りあります。イメージとして近いのは、名古屋のアメ横ビル(20世紀末まで)を超巨大化したようなものでしょうか。中華タブレットはWi-Fiでも役に立つし、日本語化の問題はなさそうだし(なぜか日本語でデモしていたのを発見)、何より日本円で1万円強なので1枚ほしかったのですが、日本でも買えるだろうと我慢しました。
 賽格広場の4階あたりでついに見つけたのが、電球色のテープLED。白色は結構多かったのですが、電球色は数店しか持っていませんでした。中でも、人の良さそうな夫婦の店(やはりスペースは2畳もないくらい)で買うことにしました。5mが1本(500素子)で50元という安さです。10本くれと言うと、ショーケースだけでは足りなかったようで近くの段ボール箱から「イーアルサンスー…」(広東語でなく普通話)と探してくれました。ここも近くにある製造工場の出店のようです。驚いたのは、こちらから言わないのに、アルミの袋(しかもシリカゲル入り)に入った全品を出して点灯チェックしてくれたこと。20年くらい前の日本の電気街の雰囲気を感じて、少し感動でした。
 ついでに買ったのは、キヤノンの大型プリンタのローラ。日本では単体入手できないのですが、OEM先のヒューレット・パッカードの型番で言って入手。大量に買ったので店頭在庫では足りず、倉庫から持ってきてもらい翌日取りに行きました。ビジネス客を相手にするせいか、その店の小姐だけは英語で対応してくれました。一方、買って失敗したのがLED電球。流行りもののせいなのか、電気街の店頭であちこちのお店の人がハンダごてで作っています。チップ部品を使うとはいえ、これも日本の昔の電気街を思い起こさせます。これも買うときに頼んでいないのに点灯チェックしてくれたのですが、日本で使うとどうにも光量が足りません。スペックシートでは90V以上対応のはずなのですが、日本の100Vでは元気がないようでした。
 あと、行って面白かったのが、あるビルの最上階フロアに真空管アンプの店が集結していたこと。日本のオーディオマニアな方には知られた場所らしいです。店構えにも外国人相手のような高級感が漂います。ウェスタン・エレクトリックなんかの真空管をコピーして売り、顧客の要望を聞いていたら、いつの間にか一定のレベルに達していたということなのでしょうか。2A3、KT88なんかが普通に売っています。300Bのペアを買って小学生以来のアンプ製作でもと一瞬思いましたが、出力トランスを買うあてがないのでやめました。だいたい、そんな金属の塊を買ったところで持ち帰るのが大変です。
 深センと言うと珠海や東莞と並んで治安が悪いというイメージですが、電気街のビル内(携帯電話関係を除く)にいる限りはそこまで危険を感じませんでした。お店はライバルとして一緒に仕事をしていて、客も仕事なり目的があって来ているという印象です。ただ、客同士のケンカは目撃しましたし、ゴミを通路に投げ捨てる(清掃員が常時巡回しているのですぐ回収される)のは見ていて文化の違いを感じます。また、文具城もあるということで行ってみましたが、地下鉄を降りて歩いた後、街の雰囲気に危険を感じて撤退しました。こぎれいだけどどこか危ないという感じです。これは、出稼ぎの人が集まった人工都市ならではの、ある種の「文化のなさ」によるのかな、と思ってしまいました。

ことのはじまり(4)


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by: くとの

 そう、香港の向いに人工的に造られた深センにはきっと「文化」が足らないのです(蛇口近くの海上世界は外国人が多いせいか違った雰囲気でしたが)。「世界乃窓」なんて展示施設を無理やり作ったりはしたようですが(当然、行っていません)…華強北も基本的に電子部品のB to Bの世界のようで、真空管アンプ(とCD)を売っていたところなんかを除いて、コンテンツ自体が見当たりません(ただし、コピーソフトは一掃した、あるいはユニバーシアード期間で一時的に消えていた可能性はあります)。店頭の中古ノートパソコンの壁紙が韓流アイドルグループになっているのが目につきましたが、自国にもアイドルやスターはいるでしょと突っ込みたくなるくらいです。
 日本の電気街では秋葉原も大須も日本橋もそれぞれ歴史を持っていますが、いずれも今やオタク化したとは言え、自作ラジオの時代からコンテンツはどこか意識されていたように思えます。私も日本の電気街の変質に寂しさを感じる一人ですが、深センの華強北を見ると「どこか懐かしさのある電気街」をそうもうらやむことはないようにも感じました。人件費や労務管理コストが上がり、製造拠点が東南アジアに逃げていったとき、深センが流通拠点として、華強北が電子関連産業の集積地として今の地位を保てるとも思えないためです。また、私が行った限りでは、「ラジオ少年」みたいなのは見かけませんでした。やはり、仕事の場所であって趣味の場所ではないのでしょう。確かに、2011年の華強北には活気がありました。何より、店に若い店員が多いことで分かります。そこで働くことに意味があるのでしょう(日本の電気街では客とともに店員も高齢化してしまった感があります)。しかし、コンテンツなき電気街がどこに行くのか、これは分かりません。
 ひるがえって、私たちの「モノづくり」を考えたとき、ただ単に「作る」だけでは意味を持ち得ないことが実感されます(それ自体、非常に楽しいことではありますけど)。もちろん、初音ミクに限定される必要はありませんが、どこか「コンテンツ」たりうることも志向していたい、そこに自分たちならではの「コンセプト」を少しでも込めていきたい、そう感じた深セン行きだったと思います。